クメール解放戦線時代第2話

戦い済んでバンコクへ戻ろう!

初めての、映画じゃない、本物の戦争を目の当たりにして、一歩も
動けなかった惨めな自分。

喉はカラカラに渇いて、皆がそうしているから、透き通った小川の水
をゴクゴクと音を立てて飲んだ。

やっと、生きている自分を感じたものでした。

密輸団のトラックに揺られて、帰路に着いた。
外国のジャーナリスト達と片言の英語で、何を話したか全く覚えてな
いが、興奮と疲弊とで饒舌だった。

アランヤプラテートに命からがら辿り着いたのは昼過ぎだった。
木賃宿で、カオパッド(焼き飯)をほお張って、バンコク行きのバスを
探し350km離れたバンコクに辿り着く、時刻はもう真夜中に近かった。

ボランティア仲間が心配して、右往左往して呉れていたらしく、皆で借り
ているアパートに、ひょっこり帰って来た小生は、大いにコヅかれて、そ
れでも皆、多かれ少なかれ、こうした危険は、何度か経験している輩!

あの地獄のパキスタンのカイバル峠を目指したY田などは半年音信
不通だったりして、わざわざ仲間がペシャワルまで捜索隊を出した事
もあったくらいだから、小生が数時間遅くなっても、実は良くある事の
一つなのであろう。

風邪ひいちまったぜ!が?

平和なバンコクに戻って、数日経ったある日、風邪にかかった様な
微熱と気だるさを感じて、バンコク日本人会館に間借りしたJVC
(日本ボランティアセンター>現日本国際ボランティアセンター)の事
務所に行かず寝て過ごした。

次第に、気だるさは増して行き、3日目くらいで、白目が黄色く成り
かかって尿がビール色に成ったところで、病院へ向う。
風邪だろうと思っていたので、それ程心配して居なかったのだが、
黄色っぽい体になって行く自分が、ホンマに風邪かいな??

病院では、検査も含めて入院措置をとって貰った!ピンクのパジャ
マで、気恥ずかしいが、病院食は最高に美味かった!

A型肝炎って?

翌日、検査結果が出て「A型肝炎」と判明した。仲間達は、肝炎A型
で良かった良かった!と言うが、どこが良いのやら?B型だと劇症
になって死ぬからなあ!
マラリアだと、潜伏するし!
蝋燭病に掛かると、
男のアレが解けてなくなるそうな?・・・・皆 恐ろしい病を良く知ってる!

数日、入院生活を満喫して、黄色い顔して、急遽帰国の途に着いた。
勿論、検疫など、色々な手続きを皆が良く知っていて、色々とご指導戴
いたっけ!?

帰国、即入院

成田に着いて、入国手続きをして、そこから世田谷の三○病院に直
行で入院して、まさかそれから懲役3ヶ月に成るなんて思っても見
なかった。

日本に帰って来た安堵感からか?肝炎つっても飛行機乗って帰れる
位だし、自分は元気だと思っていた。
しかし、病院では重病人扱いで通された病室がガン病棟。隣の方は
顎が無い??おお!マジかよお?
俺、そんなに悪いんかい?

速攻で、血液検査されて、翌朝・・・突然面会謝絶の両親呼べって
え事に成っちまって、驚いてんのは本人なのだが?

GPTが12000超えてます!

ノール  >何だあ?そのGPTつうのは?
ドクター>肝臓の細胞が破壊された時に出る酵素の一つで・・・・!!
ノール  >はあん?で?だからどうだってえのよ?

ドクター>いつ昏睡状態に成って死んでもおかしく無い状態なんですよ
ノール  >はあん?俺元気やんかあ!!
ドクター>兎に角、安静にして下さい。ご両親はいつ来られますか?
ノール  >分からん?○子(現女房)に聞いてくれ!

こうして、面会謝絶の、ガン病棟の、親呼べって・・・大事から始まった
入院生活は、延々3ヶ月に及ぶ事になった訳である。

一般病棟へ昇格!

そもそもA型肝炎つうのは、劇症に成りずらい型らしく、世にも稀なA型
劇症肝炎なる見本と成らずに、しぶとく生き残ったのは、カンボジアで死
ななかったからであろう!!

かくして、1週間のガン病棟生活は終わり、一般病棟へ昇格したのは実
に目出度い事だある。ただ親に大いなる心配を掛けさせたのは痛恨の
極みであった!

病院つう所は恐ろしい!

初めての長期入院で、しかも肝炎つうのは、安静にしているのが仕事と
来たから、最早退屈で退屈で仕方が無い!

6人部屋の
右隣が慢性膵臓疾患のオッサン
左隣が心臓病のオッサン
右斜め前が肺炎の個人タクシーの爺さん
真正面は?忘れた(汗)
左斜め前が酒による肝硬変の鳶の親方

この6人の共同生活は、肝硬変をモノともしない鳶の親方を中心として
脱走パチンコ、競馬遣り放題の親方&患者連合VS婦長さんの、可愛ら
しくも果てしない抗争の日々と化して行ったのである!

親方を筆頭に、病院の霊安室探検隊と称して、点滴ぶら下げ隊がぞろ
ぞろと、霊安室前でトビラをガチャガチャ遣ってるのを、どこその医師に
発見されて、婦長がブッ飛んできて・・・・えらい調子に怒られたり。

親方の子分が、ちょくちょく遣って来て、貢物を持参する。親方は肝硬変
で、且つ糖尿病ときたもんだから、唯一の楽しみの食事が、それはそれ
は粗末な病院食に制限されている。
だが、親方はどうもそれが大いに、気に喰わんらしいのだ。
すると、子分の持って来た貢物の饅頭とセンベエをムシャムシャ遣り始め
る。

何故、饅頭とセンベエなのかと聞くと、糖尿と肝硬変だから、甘いもの
と辛いものがイカンらしい。従って、両方喰らえば甘辛が相殺しあって丁度
良い塩梅になるんだそうな?ウーームこれは倫理だ!などと思ったもので
ある! が、彼はどう成ったのだろうか?

等々、余りにもバカバカしい戦いの日々は、其れなりに楽しくもあり、悲しく
もある。まあ、これ以上の戦いの詳細は、ここでは割愛しようsweat01

自殺未遂

右隣の慢性膵臓炎のオッサンが居ない!!?
左右の腕に、点滴打ってるオッサンが、他の5人に気付かれずに自殺を
図って廊下を隔てた窓から飛び降りて、下の駐輪場の屋根にひっ掛か
ってる所を救出された。あんなに点滴ぶら下げて、あの夜にどうやって飛
び降りたんだろうか?と、その議論で随分、親方が熱弁を振るったもので
あった?が飛び降りた本人は、2週間後に、ひょっこり戻ってきたのには
皆ぶっ飛んだ!

心筋梗塞

右隣のオッサンが夜中に、突然唸りだして看護婦さん呼んで、それから恐
ろしい事に!?
カーテン1枚隔てた隣で、女医さんが、あのオッサンに馬乗りになって、心
臓マッサージやってますsweat01

おおお!んぐううんぐうやってますよ!おおおお オッサン死なんでちょうよ!
頼むから・・・・ノミ競馬の金返してからにしてちょうよ・・・・なんてえ余裕無い!

手に汗握る数分間が過ぎて、オッサンはICUだか何だか分からん所に連れ
てかれて、以来見ていない?

退院・・・・・・留年決定・・・・・パリへ

かくして、世にも恐ろしい入院生活3ヶ月が経ち、卒論のみを丸々残して目
出度く(ウーーム親には申し訳ないが)留年が確定し、そして退院した。

久々に帰る我が家!祐天寺のアパートには、当時、同棲中の彼女(現女房)
は居らず。寂しいものであった。彼女は、既に就職してパリに赴任していたの
である。

暫く、大学へ通って、随分先の卒論の相談やら、色々な手続きやらで助手の
先生にお世話になった。その内の一人が、今、選挙真っ只中の鳩山由紀夫
さんだったので、小生は民主党に清き1票を!!

それから、暫くして彼女(現女房)のいるパリへ向い。半年間、パリとツールで
英気を養った。どうしてもパチンコがしたくて、ドイツのミュンヘンまで夜行列車
でパチンコしに行った事もあった様な??

しかし毎日がホリデーつうのも飽きる。ブーローニュの池で鯉釣りしたり、
ツールでは、ロワール川、シェリー川で良く釣りをやる内に、仲間が出来て、
その一人は今年で齢70を超えるが、未だにお付き合いをさせて戴いている。


しかし、また何かが呼んでいる・・・・・そして戦火再び!

アフリカの角 内戦のソマリアを目指す事に成るなんて?

第2話完

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